フルメタル・ジャケット
2007年5月9日 映画
フル メタル ジャケット
7.62ミリ弾
完全被甲弾
私は、
最初にジョーカーが銃を撃つシーン、サイレンが鳴って飛び出す、
まず軽トラみたいなのを爆撃してその後歩兵を、
テトの日に、
ベトナム兵をアメリカ兵が銃殺するシーン、
そこでもう「ダメだ」と思った、
何故ならばあの撃たれたその撃たれた兵が自分の
弟だったら、
彼氏だったら、
父だったらと思うともう頭が物理的にグルングルンしてきて無理だったから。
プライベートパイルがどれだけのシゴキにあっても侮辱されてもボコられても
それは未だ『殺す準備の段階』であって本番ではない、
発表会までの準備であって実感が沸かないのと同じで未だしていないという状況、
言い過ぎたとしても『未遂』である現実だから、
およそ視聴を堪えきれないことはなかった。
初めて誰か、私や家族や私たちと同じ人間が死ぬ、殺される場面で
唐突にどろどろと涙が出てきて
殺す側であっても嫌なものなのに、そこには手をかけた本人以上に
確実に殺される人間が、いる。
そこでダメだと体が反応した。
初めてフルメタルジャケットを観たのは中学一年の頃であったから、
もともと多感で過敏にできている私がもっとも、
皮を剥がれて触覚をむき出しにされていた頃であったから、
この作品に私はトラウマ以上のものを形成されざるを得なかった。
内容ではなくてお話の流れとしては、私が
『殺戮にいたる病』だとかそれこそ『シックスセンス』だとか面白がるのは、
これを観ていた影響からなのかもしれない。
何それ、と崩れ落ちる感覚。
怖い。
まさか。というのと
嘘でしょ。というのと
止して。というのと・・・
当時の自分と重ねていた。
あんなことできないって、
なんて酷なこと。
落ちというか、正体にすごくビックリした。
しかしながら、自分の彼氏は
アニマルマザーのようなセリフを吐く人間になって欲しくないと思う。
戦争がそうさせる部分(人間の本能を目覚めさせる?)はあるだろう。
海兵隊に入ったら罵倒の毎日で人殺しマシーンを作り上げる、
麻痺させなきゃ殺せないから。
逆算でしょ?
どうやったら国民が守れるか、それには敵を殺す必要がある、
人間はなかなかそれができないから良心を消させる訓練をする、、、、
そこまでエスカレートする前に誰か「ちょwwwwww」
とか言えよ。
なんの為の神が与えたもうたストッパー(良心・理性など)だよ。
味方の陣に敵兵の死体を置いて誇らしげにするなんてね。
ベトナムねずみとか呼んで笑ってるなんてね。
悪い口を聞いたり酷いことを言って自分を奮い立たせないと
結局おしっこちびって泣いちゃうからみたいなとこあるからだよね、きっと。
そこまで何故させる?????????????
誰がさせる??????????
反戦映画とひとくくりにできない娯楽映画なんだけれども
分かって欲しい、
万人に思って欲しい、
自分や身近な人がそうなることを、
死んだり殺したり自分の意思だったり命令だったり
国の為だったりあるいは誰か何かの為だったりしたとしても
建物の崩れ落ちた瓦礫が自分の家や毎日通う学校であると思って欲しい、
しごき罵倒された苦い汗や発砲時の硝煙や死体の匂いを思って欲しい、
まだほんの少女の死に際の目が自分に注がれることを、思って欲しい。
大切なものを壊すと同時に壊されることを思って欲しい。
それから、
戦争を決定し進めた『お偉方』は
私たちみたいな一般市民のような目にはもちろん合っていない、
スーツを着て、泥や被弾や食料の心配のない安全な場所にいて、
兵士や国民と同じ考えでないかもしれないということを考えた時、
それを仕方ないと納得するのか、疑問に感じて憤りを覚えるのか、
混乱してしまった。
改めて見つめてほしい、
戦争は必要悪なの?戦時国際法の立ち位置は?戦犯の意味は?
外交手段とか国益とか安全保障とかプラス向きのことと同時にね、
最初から最後まで、誰が、どう何を『失う』のかを考えてよ(;;)
動物に生まれてきた以上滅びる運命にあるって納得しなくちゃいけないのかなぁ。
この映画観た後は、
胸に何かが詰まってすっごく苦しい。
7.62ミリ弾
完全被甲弾
私は、
最初にジョーカーが銃を撃つシーン、サイレンが鳴って飛び出す、
まず軽トラみたいなのを爆撃してその後歩兵を、
テトの日に、
ベトナム兵をアメリカ兵が銃殺するシーン、
そこでもう「ダメだ」と思った、
何故ならばあの撃たれたその撃たれた兵が自分の
弟だったら、
彼氏だったら、
父だったらと思うともう頭が物理的にグルングルンしてきて無理だったから。
プライベートパイルがどれだけのシゴキにあっても侮辱されてもボコられても
それは未だ『殺す準備の段階』であって本番ではない、
発表会までの準備であって実感が沸かないのと同じで未だしていないという状況、
言い過ぎたとしても『未遂』である現実だから、
およそ視聴を堪えきれないことはなかった。
初めて誰か、私や家族や私たちと同じ人間が死ぬ、殺される場面で
唐突にどろどろと涙が出てきて
殺す側であっても嫌なものなのに、そこには手をかけた本人以上に
確実に殺される人間が、いる。
そこでダメだと体が反応した。
初めてフルメタルジャケットを観たのは中学一年の頃であったから、
もともと多感で過敏にできている私がもっとも、
皮を剥がれて触覚をむき出しにされていた頃であったから、
この作品に私はトラウマ以上のものを形成されざるを得なかった。
内容ではなくてお話の流れとしては、私が
『殺戮にいたる病』だとかそれこそ『シックスセンス』だとか面白がるのは、
これを観ていた影響からなのかもしれない。
何それ、と崩れ落ちる感覚。
怖い。
まさか。というのと
嘘でしょ。というのと
止して。というのと・・・
当時の自分と重ねていた。
あんなことできないって、
なんて酷なこと。
落ちというか、正体にすごくビックリした。
しかしながら、自分の彼氏は
アニマルマザーのようなセリフを吐く人間になって欲しくないと思う。
戦争がそうさせる部分(人間の本能を目覚めさせる?)はあるだろう。
海兵隊に入ったら罵倒の毎日で人殺しマシーンを作り上げる、
麻痺させなきゃ殺せないから。
逆算でしょ?
どうやったら国民が守れるか、それには敵を殺す必要がある、
人間はなかなかそれができないから良心を消させる訓練をする、、、、
そこまでエスカレートする前に誰か「ちょwwwwww」
とか言えよ。
なんの為の神が与えたもうたストッパー(良心・理性など)だよ。
味方の陣に敵兵の死体を置いて誇らしげにするなんてね。
ベトナムねずみとか呼んで笑ってるなんてね。
悪い口を聞いたり酷いことを言って自分を奮い立たせないと
結局おしっこちびって泣いちゃうからみたいなとこあるからだよね、きっと。
そこまで何故させる?????????????
誰がさせる??????????
反戦映画とひとくくりにできない娯楽映画なんだけれども
分かって欲しい、
万人に思って欲しい、
自分や身近な人がそうなることを、
死んだり殺したり自分の意思だったり命令だったり
国の為だったりあるいは誰か何かの為だったりしたとしても
建物の崩れ落ちた瓦礫が自分の家や毎日通う学校であると思って欲しい、
しごき罵倒された苦い汗や発砲時の硝煙や死体の匂いを思って欲しい、
まだほんの少女の死に際の目が自分に注がれることを、思って欲しい。
大切なものを壊すと同時に壊されることを思って欲しい。
それから、
戦争を決定し進めた『お偉方』は
私たちみたいな一般市民のような目にはもちろん合っていない、
スーツを着て、泥や被弾や食料の心配のない安全な場所にいて、
兵士や国民と同じ考えでないかもしれないということを考えた時、
それを仕方ないと納得するのか、疑問に感じて憤りを覚えるのか、
混乱してしまった。
改めて見つめてほしい、
戦争は必要悪なの?戦時国際法の立ち位置は?戦犯の意味は?
外交手段とか国益とか安全保障とかプラス向きのことと同時にね、
最初から最後まで、誰が、どう何を『失う』のかを考えてよ(;;)
動物に生まれてきた以上滅びる運命にあるって納得しなくちゃいけないのかなぁ。
この映画観た後は、
胸に何かが詰まってすっごく苦しい。
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